こんにちは、ありすという名前でブログを書いております。
私の自己紹介ページをご覧いただきありがとうございます。
えっと、ありすって誰??となると思うので
現在の私について箇条書きで簡単に自己紹介をさせていただきます。
・日本生まれ日本育ち
・某国公立大学卒
・TOEICスコア940取得(上の画像がオフィシャルスコア表です)
・元空港グランドスタッフとして勤務
・外資系企業でインポート(輸入担当)の仕事をしています(現在育児休業中)
・仕事はほぼ残業なく定時に毎日帰れる
・フレックスなので朝もゆっくりできて基本遅刻という概念が無い
・上司はめちゃいい人なのでストレスフリー
・得意な語学を活かしつつ、ゆったり働けている
・職場は都心の高層ビルの上層階にある広々きれいなオフィス
・なのでスカイツリーと東京タワー両方が職場から見えちゃう
・天気が良ければ富士山も見えちゃう
・色々な飲み物が無料で飲み放題だったり、お菓子の日があったり職場の設備も充実
・ほぼ定時に帰れるのでプライベートも充実
・例えばジムに通って水泳や筋トレしたりスタジオレッスン受けたり、健康にも気遣える
・勿論仕事後の遊びやデートの予定も入れたければ入れ放題(独身時代の話です)
・まとまったお休みもとりやすい
・後ろ指さされることなく大好きな海外旅行に毎年行っている(独身時代・コロナ前の話です)
・土日祝日はもちろんしっかりお休み、有給と別に夏休みや年末年始休暇あり
・なのでオフはしっかり休息するも趣味に没頭するも自由
・それでいてお給料は自分史上一番多いので満足
とこのように、仕事とプライベートのバランスよく充実した会社員生活を送っています。
ふーん自慢話?
どうせあれでしょ。国公立大出てるし英語得意だからそりゃ就職うまくいくでしょ。
ようはエリートではじめから勝ち組なんじゃん。
と思いましたか???
私は今でこそストレスフリーに楽しく働いて仕事もプライベートも楽しんでいますが、実ははじめからうまくいっていたわけではないんです。
むしろ新卒の就活は大失敗して、その後も何年ものあいだ、短期間で入社と離職を繰り返していました。
途中ブラックな会社で人格崩壊していた時期もあります。
ストレスが影響して夜ほとんど眠れないくらい体調が悪かった時期が何年も続きました。
自分では違うつもりでも、転職回数を重ねたことで、周りから見たら悪い意味でのジョブホッパーでした。
そのため転職市場では「仕事が続かない人」の烙印が押されてしまいます。
日本の転職市場では、転職に対して批判的な風潮がまだまだ根強く残っています。
多少人よりも語学スキルや職務経験を持っていたとしても、厳しい扱いを受けることも多いです。
完全無職になってハローワークに通った時期もありますし、派遣社員として働いていた時期もありました。
一人で全部の雇用形態(正社員・契約社員・派遣社員)+ 完全無職 まで経験しているのは、きっと私くらいなのではないでしょうか?
転職を繰り返して迷走していた何年もの間、大手企業へ就職した大学の同級生への劣等感、将来への不安、金銭的な不安にさいなまれ、精神的な余裕は全くありませんでした。
もう自分はまともな職場で働くことができないのでは?と思い、自己肯定感がどんどん下がっていき、負のスパイラルでどんどん自信を無くしていました。
とことんうまくいかず落ちるところまで落ちた結果ようやく吹っ切れて、自分自身のことと転職というもの自体をしっかりと見つめなおすようになりました。
そしてそこから徹底的に勉強・対策していきました。
その結果、どのように準備をしてどんな切り口で話をすれば面接で自分の良さや思いが伝わるのか、次第にわかるようになりました。
そこからは転職活動がうまくいくようになっていき、明らかに相性が合わなかった会社以外はほぼ全て最終面接に呼んでもらえるようになったのです。
そして現在働いている会社に出会うことができました。
今はイヤなストレスを抱えることなく、プライベートも充実した会社員生活を送れるようになりました。
得意とする語学を活かしながらやりがいをもって取り組める仕事ですし、かといって忙殺されることもなく、結婚する前はオフにジムに通ったり好きな海外旅行にも行ったりなど、仕事だけでなくプライベートも充実させられるようになりました。
勿論結婚後も問題なく仕事を続けて、現在は育児休業をとらせていただいてます。
正直、ブラックに勤めて迷走していた時の自分では想像できなかった理想的な生活に変わりました。
もし今あなたがブラックな会社で苦しんでいたり、自分に合わない・納得できない環境で働いているとすれば、私がこのようにがけっぷちから生還できたことは信じられないかもしれません。
ですがこれが実際の私の話です。
私自身就職や転職がうまくいかなかった長い期間、本当にもうどうしたらいいのかわからなくて、出口が見えない真っ暗なトンネルの中にいるような感じで絶望していました。
ここから抜け出すのは無理なのでは無いかとさえ思っていました。
きっと今、転職について以前の私のように思い悩んでいる方がいると思います。
そういった方々に私の経験を話すことによって、転職活動を成功させる上でのヒントとなるものをたくさん提供できるのではないかと思ったのが、ブログを書き始めたきっかけです。
私のこれまでの転職に関する経験を話すことで役立ててもらえればと思い、このブログを通して情報をお伝えしていきたいと思っています。
目次
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私の人生は順調そのものだった。新卒就活までは。
私は大学に入学するところまでは特につまずくことなく、比較的スムーズにきていたように思います。
多くの人たちが苦労する高校受験・大学受験でさえも、自分の苦にならない程度に勉強してそのまま射程圏内に入ったのが、世間ではそこそこ優秀と言われるような学校でした。
私はとある国公立大学に現役合格し、入学します。
大学生活も3年生の終わりになり、就活のことを意識する時期に差し掛かりました。
就活は大事だからしっかりやらなきゃ、とは思っていましたが、特にそれまでの受験などで苦労しなかった私は、きっと今回もうまくいくだろうと軽い気持ちでどこか考えていたのです。
しかし新卒時の就活を甘く見てのちに地獄を見ることとは、当時の私は知る由もありませんでした・・・
大学3年生の10月ころ、大きなドーム会場での合同就活イベントに参加するところから私の就活は始まりました。
はじめはリクルートスーツを着て髪をまとめて就活イベントに出かける自分、というのが新鮮で、今思えば完全に浮ついた気持ちのみで就活を始めていたなと思います。
これまで特別苦労することなく受験等をくぐり抜けてきていたので、就活も、まー大丈夫っしょ!!というような非常に楽観的な気持ちでいました。
年が明け、企業の採用活動も活発になっていきます。
私もめぼしい企業にエントリーしてはES(エントリーシート)を送り、説明会や面接にせっせと出向いていました。
現在もそうらしいですが、私が就活をしていたころは5月の大型連休までに内定が出るかどうかが一つの目安、と言われていました。
私が通っていたのは国公立大なので、言ってみれば周りはエリートばかり。
大学の同級生の多くは誰もが名前を知っている有名企業の総合職にどんどん内定していきます。
そんな中私はというと、全然だめ。
びっくりするくらい選考が進まない!
ESは比較的通るものの、一次面接落ちがほとんどで、全く手ごたえすらない状態でした。
一向に就職先が決まらない自分と早々に就活を終えていく周囲を比べて、言いようのない焦りや不安やコンプレックスを募らせていきました。
そうして周りに遅れること数か月、確か真夏頃だったと思います。
ようやく1社から内定をゲットします。
・・・しかし実態は、額面給与16万(手取り13万くらい、というか正確には時給制)の激安給与案件・・・
しかも希望の部署があったからこそその会社を受けたのに、全く興味のない別部署でなぜか内定でした。
給料や待遇が全てではありませんが、曲がりなりにも国公立大学卒でこの給料、しかも別にやりたくない仕事って・・・と、プライドはズタボロ、半ば絶望でした。
恥ずかしくて大学の友人には内定先について詳しい内容は話せませんでした。
もっと良い就職先があればと少しの間就活を継続しましたが、結局他には内定は出ず。
元々うまくいっていない就活です、就活を継続するのにも嫌気がさしてきてもういいや・・・という気持ちになります。
内定先を蹴って就職浪人するほどの勇気もなかったので、結局そのままその会社に入社することになります。
希望の部署ではないけれど、やってみたら案外面白いかもしれないし!
と無理矢理前向きに考えて入社してみたんですね。
ここで少し1社目の仕事について少しお話しますね。
新卒で入ったその会社は、空港でのお仕事でした。
もう少し詳しく言うと私が働いていたのは貨物系の部署でした。
航空貨物が飛行機に搭載されるまでの空港での色々な書類上の手続きなどに関するお仕事でした。
もともと空港で語学を活かした旅客対応に興味があって受験した会社でしたが、
その貨物系の部署では自分のやりたいことはできないと働いてみてはっきりとわかりました。
ちっともおもしろくない!!!
やっぱり絶対ちがーう!!!
入社後すぐにそう思った私は、入社と同時に転職を考えます。
では、私のやりたいこととは?となったときに、その答えは空港で貨物事務の仕事をしたことによって明確化されていました。
空港で働くなら、やっぱり旅客の仕事がやりたい、というのがその時の私の結論。
1社目の仕事に関しては、そもそもやりたくない仕事だし、待遇も悪すぎで、私にとって続ける理由がまるでありませんでした。
早く次を見つけて辞めようという一心でした。
同期は楽しい人が多くて恵まれたんですけどね。
ただ仕事はまるっきり私のしたいことではなかったんです。
そして転職先を探しつづけ、半年後に運よく空港グランドスタッフの仕事を見つけて転職することとなります。
こうして私は新卒で入った会社をあっさり半年で退職します。
グランドスタッフになったけれど・・・
2社目は成田空港でのグランドスタッフとしてのお仕事です。
私が担当していたのは、ヨーロッパ系航空会社での出発のお客様の搭乗手続き(チェックイン)の仕事です。
チェックインカウンターでのお仕事だけでなく、そのまま搭乗口でのお客様の呼び出しや対応業務も行っていました。
また到着便の仕事もしていたので、乗り継ぎのあるお客様のケアや手荷物未着時の対応などの到着便の業務も行いました。
ヨーロッパ系の外資航空会社でのお仕事なので、お客様の半分以上は外国人です。
念願の、好きな語学を毎日ばんばん活かせる仕事。
特に会話など口頭での語学を活かしたかった私にとって、本当にやりがいを感じることのできる環境でした。
航空会社のグランドスタッフの仕事ってイレギュラーも多いし不規則で大変なのですが、それを上回る楽しさがあります。
私は元々接客も好きでしたし、お客様に喜んでもらえる瞬間が多いグランドスタッフの仕事は、大変だけれどやりがいのあるものでした。
しかし、私はグランドスタッフの仕事を2年で退職します。
理由は色々と複雑なのですが、一言で言うと長く続けるビジョンが持てなくなったから。
グランドスタッフはどこの会社もほぼ全員が時給制の契約社員のスタートです。
契約は1年ごとに更新で、更新上限が5回と決まっていました(就業当時)。
登用試験を受けて合格すれば、契約期間に上限のない身分になることも理論上可能で、入社当時はそれを目指すつもりでいました。
しかし、多くの先輩を見ている中で、やる気や実力(実力を測るのが難しい業種ではありますが)がある人より、能力的に明らかに劣っているが上司にうまく気に入られている人が登用試験でも優遇されているような実態も見えてきて、あまり登用試験を受けて長期的にグランドスタッフとして働きたいという気持ちが持てなくなっていきました。
そして、女性ばかりの職場の独特な雰囲気や上下関係(私はずっと公立の共学通いだったので、なじみにくいほうだったと思います。)、不規則な生活、そこから知らず知らずの間にストレスが溜まっていったようです。
私はストレスを受けると全部肌に出てしまう体質で、当時は顔中が真っ赤になっていて、
常にかなりのかゆみがあって、ひどいころは正直仕事をするのもつらい状態でした。
それでも、「ストレスなんて働いている人は多かれ少なかれ受けるものなんだから、私だけじゃない。」と体に鞭打って働いていました。
今思うと当時の私には「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と言ってあげたいです・・・
ちなみに肌のかゆみは夜寝るときも収まらず、
空港での体力仕事で疲れて寝ていても夜中にかゆみで何度も目が覚めてしまっていました。
そのたびに冷たい水で顔を洗ったり、保冷剤で冷やしたりして、少しかゆみがマシになったところでようやく少し眠り・・・
そしてまたかゆみで目が覚めて、の繰り返し。
この状態はたしか2年くらい続いていたので、
その2年程の間はほとんど夜まともに眠れていなかったということになります。
このように体調が悪くなってしまったのもあり、私の中ではグランドスタッフとしての仕事を続ける、というビジョンがなくなってしまいました。
あと、航空業界以外の仕事もやってみたいという気持ちがあったことも事実です。
航空業界で働く人は、もともと航空業界で働くことしか頭にない人も一定数います。
しかし私の場合はあくまでたくさんある仕事の選択肢の一つであり、
語学を活かしたいというポイントで見たときに興味を持った仕事という感じでした。
なので、一般業界での仕事(超ざっくりですが普通にオフィスで働くイメージ)も興味がありました。
航空業界、特にグランドスタッフの仕事は、ある種専門的過ぎてつぶしがきかないとよく言われています。
それは事実でわたし自身そのことは認識していたので、グランドスタッフを続けるビジョンが持てなくなった以上、なるべく若いうちに辞めて転職するほうが有利だろうとも考えました。
こうして、私は2年目の契約更新をしないことを決め、一般業界への転職活動を始めます。
いざ、一般業界へ転職。しかし・・・
次に私が就いたのは、高級菓子の専門店で販売の正社員の仕事でした。
元々は一般業界で語学を活かしたオフィスワークをしたいと思い、グランドスタッフの時に転職活動をしていました。
ですが、先述のように、グランドスタッフの仕事は一般業界につぶしがききません。
グランドスタッフの仕事は色々覚えることや表から見えない業務があって、決してただ接客しているだけではないのですが、
世間的にはいち接客業の仕事としか見てもらえません。
そうするとオフィスワーク経験はゼロ、未経験でもOKな仕事しか応募自体できないので、どうしても受けられる企業が限られてきます。
私はまだ語学力が高いほうなので、語学力と当時20代半ばという若さで興味を持ってもらえることも多少はありましたが、
結果には中々結びつきませんでした。
そのため、グランドスタッフでの接客面の経験を評価してくれる接客販売の仕事でもいいか、と、妥協して考えるようになります。
本当はオフィスワークをしたかったのですが、接客は好きなんだしいいや、と自分を納得させるようになりました。
今思うとほかにも色々な方法があるのにと思うのですが、当時の私には考えが及びませんでした。
これが販売の仕事に就いた経緯です。
しかしやり始めてしばらくすると、言いようのない虚無感に襲われるようになります。
販売の仕事は、残念ながら私にとってやりがいを感じられるものではありませんでした。
まず、語学が活かせない。
これはわかっていたことなのですが、お客様はほとんど日本人なので、語学は全く活きません。
好きなブランドで働いていましたし、商品もとても良いものなので、その点は愛着を持っていたのですが、私がやらなければいけない仕事ではないと強く思うようになります。
そうなると、毎日毎日、私は一体ここで何をやっているんだろう・・・という気持ちになります。
人間関係は比較的良かったですし、基本的に良い会社でした。
ただ、当時の私は自分の能力や得意なことをもっと活かして貢献できる職場が絶対にあるはずだ、と強く感じるようになりました。
そうして私は転職活動を再び始めました。
そして販売の仕事をちょうど1年で辞め、転職することとなります。
やりがい搾取ブラック
次に就いたのは、輸入代理店業務を行う会社での卸の部門の営業事務の仕事でした。
その会社はアメリカやヨーロッパのブランドの輸入総代理店をしている会社で、扱っているのはファッション関連のアイテムでした。
フランスのブランドも含まれるので、英語だけでなくフランス語も活かせます。
オフィスは当時5人だけの小さな会社で、
未経験でもやる気があればOK、語学力を高く評価してくれて、
展示会での商談対応もするので、接客をしていた面も評価してもらえました。
仕事はきっと大変だけどやりがいをもって働けそうな会社です。
語学を活かせて、未経験でもOKのオフィスワーク、
これまでの経験も評価してくれる、しかも興味のあったファッション関連のアイテムを扱える!
私にとってまさに願ったりかなったりの仕事です。
この仕事が決まったときは本当にうれしくて、
ようやく自分の得意なことを活かせてやりがいをもって働ける!と、遂に夢が叶ったくらいの気持ちでいました。
しかしすぐに私はこの会社で、地獄をみることとなります。
結論から言いましょう。
入ってみたらブラックだったんです。
私は精神的にやられて、攻撃的な別人格になります。
会社はいわゆる、オーナー社長のやりたい放題のワンマン経営でした。
例えばこんなことがありました。
社長と幹部(私の直属の上司であり、卸の責任者)は明らかに関係性がうまくいっておらず、
幹部は社長に言われっぱなしでおかしなことがまかり通っていました。
やり方も理不尽に一方的に怒ったり、時には恫喝したりです。
上司が社長に30分の打ち合わせのアポを事前に入れているのに、
時間が来て話をしようとすると「は?」「時間ない」「5分」などと言って相手にしなかったり、
そういったくだらないいじめのような意味不明のことが毎日起こっていました。
上司は上司でそのような扱いを受けているので、
ストレスのはけ口にするかのように同じようなことを自分の部下である営業の男性スタッフにしていました。
部下の男性営業スタッフに対して、
人格を否定するような言い方でネチネチと何時間も、内容の無い説教が毎日続くのです。
全て小さなオフィス内の隣のデスクで起こるので丸聞こえです。
オフィスの雰囲気は、毎日本当に最悪でした。
上司もさすがにわきまえていたのか、女性である私にたいしてそういったパワハラをすることはありませんでした。
それでも何かの拍子に標的が自分になる可能性があるかもしれないという恐怖が常にありましたし、
何より自分が直接されていなくても非常に雰囲気が悪いオフィスで働くのは、私の精神を破壊するのに十分でした。
書き出すときりが無いので割愛しますが、そのような会社なので離職率はスーパー高くて人材を使い捨てのようにしか思っていなかったり、
他にもブラックな点は書ききれないほどです。
今思うと私はストレスから人格崩壊していました。
仕事に行くと、常にイライラしていて、ものすごく攻撃的な別人格になっていました。
仕事中、周りの人に対する態度はひどかったと思います。
どうしてそうなったのかというと、結局会社がそのような状態なのはすべて社長のせいだということが見ていてよくわかっていて、
社長に対する怒り、また社長の言いなりになっているひとに対するやるせなさがあったんです。
そういった気持ちや自分自身の仕事のストレスからイライラが募り、
もちろん正当化できることではないのですが、ひどい態度をとっていました。
もちろん自分の態度が良く無い事はわかっているので、毎日自己嫌悪です。
わかっていてもどうもできず、自己嫌悪を繰り返して、どんどん自分が嫌いになっていきました。
なんでこんな風にしかできないんだろうと、自己嫌悪と後悔で帰り道に涙が出てきたことが何度もあります。
上司は頼りないところはあるけれど基本的にはいい人で、
社長から理不尽な扱いを受けていなければ楽しく働ける人だったので、社長に対する憎悪が私の中ですごかったです。
この会社では、結局2年と6ヶ月の期間勤務しました。
正直、この会社がやばいかもということは入社して数日で気づき始め、
1ヶ月経つ頃にはとんでもないところにきてしまったという確信を持っていました。
なので2年6ヶ月は私にとって、かなり長くいたという感じです。
どうしてそんな環境にいて3年近く続けたのかというと、まず第一に仕事にはやりがいがあって好きだった事が挙げられます。
会社は大嫌いだけど、仕事はやりがいがあって好き、という状態でした。
私がいた会社は業界では一応有名な会社で、
代理店をしている海外ブランドもとてもユニークで魅力的で、
高価格帯にも関わらずお客様がすごく求めてくれるものでした。
それこそ何ヶ月も待ってもその商品が欲しいという人がいるくらいです。
しかも何万円という金額を出してでも欲しいと。
なので私は良いものを日本に広める仕事をしているという自負がありましたし、
自分が仕事を通してその過程に関われることに喜びを感じていました。
また少人数のため一人が担当する領域は広く、大企業に就職した人には絶対に体験できないような領域まで入ったばかりの社員である私が関わることができます。
裏を返せば何でもやらなければいけないし誰も手伝ってくれない(そもそも人がいない)ということでもあるのですが、
他の会社ではなかなかできないことまで携わることができるということは、やりがいを求める私にとってはやはり魅力的なことでもありました。
このような感じで、入社当初から会社はヤバイので辞めたいという気持ちと、
仕事はユニークなことができて好きでもう少し続けたいという気持ちが常にせめぎあっていました。
しかし、2年を過ぎた頃、私は限界を迎えます。
正確に言うと、疲れ切ってしまったと言う感じでした。
長くなるので詳しくは書きませんが、やはりストレスから色々な体調不良もあり、このまま長く続けるのはいよいよ難しいと切に感じたのです。
また、一人の業務負担が大きい少人数の会社なので、2年ほどでもう仕事をやりきった感もありました。
パワハラや理不尽なことがない就業環境ではたらきたい。
とにかく社風の良いところで毎日気持ちよくはたらきたい。
そう思って、再び転職することを決意します。
この時点で私の年齢は20代後半、すでに4社経験していました。
日本の転職市場では倦厭される、もう立派な「転職回数多過ぎな人」でした。
私自身も、流石に転職回数が増えてきてしまったという認識がありました。
次こそは絶対に長く続けられる就業環境の良い会社に入って、
それこそ10年は勤め上げようという気持ちでいました。
いくらやりがいがあっても社風や就業環境がブラックでは絶対に続けられないことを痛感していた私は、
第一に社風や就業環境の良さを重視し、その次に仕事内容という感じで転職先を探し始めます。
しかしこれが新たな失敗の元となります。
社風重視一辺倒で選んだ会社
私が次に入社したのは、社員数15名程度の零細商社でした。
主に大手印刷会社から案件を受注していて、
雑誌の付録に付いているような様々なもの(CD・DVDなどのディスクやノベルティなど)を
海外委託先工場で生産手配していました。
私はその会社に営業として入社することとなります。
自分が営業に向いているのかわからなかったし、
会社がどんなビジネスをしているのかを入社前に実はあまり理解できていなかったのですが、
面接でなんとなく感じた社風の良さや社長の人柄の良さ、
最低限きちんとしたオフィスが構えられていたこと、
そして何より、簡単に内定を出してくれてしまったことで、その会社に入ることに決めてしまったのです。
正直扱っている商材になんの興味もなかったし入社前は仕事のイメージもわかず、
本音レベルでは前職のようにファッション関連のアイテムを扱える仕事を希望していました。
ただ、前にいた会社がそうであったように、
ファッション系のものを扱う会社で小規模の会社は、ワンマン経営が多いということも実感していました。
もちろん全てがそうでは無いのですが、これは前職にいる間に同業他社の話を色々聞くこともあり、傾向として多いと感じていました。
華やかな商材ややりがいにつられて再びワンマンブラックに入るという同じ失敗は絶対に繰り返してはならない。
そう硬く誓った私は、ファッションに関われるなら尚可だけど、基本的に扱う商材にはこだわらない。
それよりもとにかく社風!社長の人柄!就業環境!
という視点で転職活動していたんです。
なので、外資の自動車部品メーカーの営業事務、製薬会社の海外系部署、はたまた弁護士法人の秘書など、
実に色々な種類の会社を転職エージェントに紹介されるがままに受けていました。
しかし、航空業界からのファッション系輸入代理店勤務という一見華やかに見える(?)経歴から、
堅い業界の採用担当からはそもそもミスマッチと思われることも多かったようです。
私としても面接に行っても、この会社や仕事に興味がある!という会社は中々見つかりませんでした。
そもそも本心ではファッション商材を扱いたいと思っているのだから当然です。
なので面接に呼んでもらっても、手応えはいまひとつでした。
そんな中、面接に行って話をする中で、
やる気があるならいらっしゃいという軽い感じのノリで内々定を出してきたのがその会社でした。
新卒の就活を同じようなかたちで失敗しているのに学習がなくてお恥ずかしい話ですが、
私は気持ちの焦りから早く転職活動を終えたい心理になっていました。
より良い環境を手に入れることが本来の転職の目的であるのに、
内定を取ることがいつのまにか目的にすり替わってしまっていたのです。
そうして、結局その内定に飛びついてしまいます。
前職を辞めることを公言してからの転職活動で、
職歴の間の空白を作りたく無いという気持ちも強かったのも影響しました。
とにかく今思えば、自信のなさや浅はかさからくる焦りでの失敗です。
このように、会社の社風がよさそう、社長の人柄は良さそう、オフィスなど最低限の就業環境は整っている、という理由だけで入社を決めたんです。
入社してみると、確かに小規模ながらちゃんとしたオフィスでしたし、社長や働いている人はいい人たちでした。
社風や働く環境としては狙った通り、特に問題ありません。
仕事の内容に関して、はじめは扱う商材に興味あろうが無かろうが仕事なんだから、と
割り切って淡々とこなすことだけを考えて仕事をしていました。
私は産休に入った女性幹部の産休中の仕事を引きつぐ形で採用されていました。
その女性幹部の方が担当していた顧客が大手印刷会社で、私は入社と同時に自動的に会社最大の取引先を担当することになります。
元々定期的に案件が発生する大口顧客なので、はじめは特に営業として受注を取りに行くというよりは、
たくさん発生する案件を手配から納品まで滞りなくまわるように営業の立場から管理しているような感じが続きました。
扱う商材への興味は正直ゼロだし、前職のような商材の魅力や楽しさは全く無いものの、
仕事と割り切って多くの案件を効率よく処理している感覚はそれなりにビジネスをまわしている感があって、
意外とこの仕事は自分にあっているのではないかとさえ思っていました。
営業職なので残業代はつかないのですが、私は毎日遅くまで残業していましたし、
時には顧客から真夜中に会社携帯に連絡がきて対応することもありました。
やはり前職との業界の違いがあまりにも大きいので、
正直なところ前の会社の時ように自分の好きなものを扱えない虚しさはありました。
あとなんとなく自分がその仕事をしていることの違和感・自己不一致感のようなものを感じてもいました。
ですが、それこそ本気で10年続けるつもりで入社していて、
5社目となるこの会社を辞めたらあとがないと思っていたので、
自分の個人的な感情は押し殺して、目の前の仕事を淡々とやろうという気持ちでやっていました。
しかし、状況は少しずつ変わっていきます。
入社当初から言われていたのですが、
その会社は営業の会社と社長は自負していて、
新規の営業をやってナンボだということをずっと言っていました。
また社長自身が営業出身で、営業については自分が叩き込んでやる!というようなことを入社前から言っていたので、
社長なり、その会社なりの戦略やノウハウを伝えてもらえるのだと思っていました。
私も営業として入社している以上もちろん新規の営業をするのは当然だと思っていました。
ただ、たまたま入社直後から大口顧客の担当をした関係で、案件を滞りなく回すだけで忙しく、
しばらくは新規開拓をする余裕も必要性もありませんでした。
産休の幹部が戻ってきてからしばらくしたタイミングで、社内の担当取引先の配置換えをすることになり、
私は休眠顧客の掘り起こしと、新規開拓をすることになります。
実はこの時点では私はやる気をだいぶ無くしていて、うまくいかないような嫌な予感はしていました。
というのもそれまでは担当の大口顧客の毎月発生する案件を粗相のないように回すことが実質的な私の使命でした。
なので自社の商品に強みがあると思わなくても、売り込みの部分をやらずに済んだので、淡々と仕事をこなすことができていました。
効率よく正確に仕事を回すことは得意なので、その時点ではかなりの高評価を周りからももらっていました。
ですが新規の売り込みや休眠顧客の掘り起こしをするとなると、
少なくとも私は、商品に愛着だったり、何らかのメリットや強みがあって、
顧客の役に立つと自分自身が信じこめていないと売り込みをかけるのは難しいです。
しかし、働いてきた数ヶ月間で会社のやっていることを理解した私としては、
会社が扱っている商材は世間でどんどん需要が減ってきているものとしか思えなかったのです。
はっきり言って売り込むほどの価値を感じられないとさえ思うようになっていました。
実態は、どんどん小さくなって行くパイを同業他社と安売り競争しながら奪い合って、お互いの体力を消耗させている状態でした。
すごく不毛だし、バカバカしいとさえ内心思っていました。
私は、会社が扱うものがすでに社会からほとんど求められていないものだと感じていて、
これを売り込むのは時代の流れとして無理があるなと普通に感じていたんです。
この会社の商材は完全に時代遅れで、お客様の役に立つことができないと感じていました。
あとこちらに詳しくはかけないのですが、
私としてはあまり扱いたく無い種類の商材が会社のメインの仕事でもありました。
なので、案件を淡々と回すのはまぁできるけれど、休眠顧客の掘り起こしや新規の売り込みなんて、
正直会社のやっていることに価値を感じていないのにできるわけないと内心思うようになっていました。
また社長が自分が営業について叩き込んでやるというようなことを言っていましたが、
結局会社なりの戦略を教えてもらえるような機会はありませんでした。
日本の会社にありがちですが、何度か営業先に一緒に同行して営業風景を見せるというようなことはありました。
私もおんぶに抱っこで教えてもらおうなどとは思っていなかったのですが、
背中を見せるだけではなくて、経験から蓄積したその人なりのノウハウを伝授してもらえるようなことを期待していました。
しかし実際は結局場数を踏めと言わんばかりに何もわからない状態で電話をかけて営業先に放り込まれるような、
日本の伝統の放置型で根性論型の営業スタイルなのでした。
売る商品に魅力を感じない、
少しは営業のノウハウを教えてもらえるかと思ったけれどそれもなく完全放置で営業しろとだけ言われる。
とりあえずやってみるものの、当然私の営業活動はうまくいきません。
この頃からはとにかく毎日が苦痛でしかなかったです。
自分で商品に魅力が無いと思っているので、どう考えても売れるわけが無いのです。
このことは自分がよくわかっています。
他の社員はどうしてあんなに一生懸命できるのか、モチベーションが何なのか正直不思議でしょうがありませんでした。
それに、お客さんの役には立たないと自分自身が思っているのに営業をかけないといけないのは、それ自体結構なストレスでした。
この頃から私は、この会社で続けて行くことが難しいと感じるようになります。
ただ転職回数がすでに多く、その会社もまだ在籍1年程度だったので、
なんとか転職しなくて良い方法が無いかとも考えました。
しかし、そんな方法はなく、営業活動がうまくいかない私は会社の中でどんどん居場所が無くなって行くのを感じました。
訪れた転機
この頃、ようやく気づくのです。
私は完全に選択を誤ったのだ、と。
やりがいブラックからの転職活動の時、社風が良い会社で長期就業したいということだけを考えて活動をしました。
本当は前職のように自分の好きなファッション関連の商材を扱いたいのに、
前職で叶えられなかった就業環境だけを重視して、自分の興味関心は軽視して活動していました。
その結果、就業環境は確かに問題ないけれど、
今度は肝心の仕事内容が自分にとって興味を持てないものを選んでしまっていたのです。
やっぱり何事もバランスが大切です。
確かに前の会社のような、やりがいはあるけれど会社がブラックな搾取型だと、
やりがいはいくらあっても長期就業は難しいです。
かといって、就業環境はよくても、私のような人間はモチベーションを保てるような商材への興味というものが必要でした。
ようはやりがいと就業環境どちらも大事なんです。
10年働くつもりなら、両方を満たせる企業を、多少時間をかけてでも徹底的に探すべきだった。
そして、この頃改めて認識したことがあります。
私はやっぱりファッションを扱いたいということ。
これが全然違う商材を扱うことによって明確になりました。
自分も好きなファッションを扱うことによって、お客様に喜んでもらえるイメージができて、
それが私にとって大きなやりがいを感じるポイントだったのです。
やりがいあるけどブラックな前職では、ファッション関連のアイテムを海外から輸入して国内の卸先に納品していました。
お客さんが何ヶ月も待ってでも、何万円も払っても欲しいと言ってくれるようなアイテムです。
そのように求めてもらえる良い商品を扱えること自体が私にとって大きな喜びだったし、
良い商品が私の仕事を経て卸先や、さらにその先のエンドのお客様にわたり、手に取ってもらえて喜んでもらえるイメージができていました。
この、お客様に喜んでもらえるイメージが自分でできる、ということが私が仕事をする上でとても重要であり、やりがいポイントだったんです。
私にとってそのイメージしやすいのはファッション関連であり、そこは譲るべき点ではなかったという結論が見えてきました。
ここまで読んでくださった方は、あまりに私が失敗続きで呆れていると思います。
本当にそうですよね。
学校の勉強はそこそこできたのに、あまりに就職力がなくて自分でびっくりしてしまいます。
私自身ここにきて、年齢はちょうど30歳になり、
航空業界2社と一般業界3社の合計5社を経験していました。
そしてその5社目を1年と少しでやめようとしていました。
この5社目の会社に入るときは、本当に今度こそ10年とか長期就業するぞ、という気持ちだったので、
結局また1年と少しの短期で辞めることになってしまうことは、自分の中でさすがにもう落ちるところまで落ちた感がありました。
「30歳で5社経験、その5社目も1年ちょっとで退職。
もうこれはなんていうか、本当に落ちるところまで落ちた!
わたし、いくらなんでもやばすぎやないか・・・爆笑
もうここまで落ちたら一旦、完全にゼロに戻って、本当にやりたいことを見つめ直そう。
そうして、落ち着いて、本当にやりたい仕事に次こそ就けるように、焦らずにきちんと転職活動しよう。」
人ってあまりにもダメなところまで来ると、もうあとは素直に認めて開き直るようです。
自分の状況があまりにもだめだめすぎて、逆にすこーんと吹っ切れたという感じでした。
ここですぱっと仕事やめて、無職になった状態でしっかりと自分を見つめ直して、じっくりと転職活動しようと覚悟を決めたのです。
こうして、私は5社目の仕事を1年4ヶ月で退職しました。
はじめての完全無職
私は人生で初めて、完全に無職になりました。
しかも女性・30歳・独身での完全無職です。
今までは次の仕事が決まった状態で必ず退職していたので、
次の仕事が決まっていない状態で無職になるのは全く初めての経験でした。
どんなきもちだったかというと、自分でも意外なほど落ち着いていました。
今思い返しても、勿論不安はあるものの、
基本的には穏やかでとても良い精神状態で毎日を過ごすことができていたなと思います。
無職中に年末年始を挟んだため実家の親にも会ったのですが、親も無職中にも関わらず精神的に安定している私を見て驚いていた位です。
これには理由があります。
というのは、私は完全無職になるにあたって、いくつかのルールを自分に課していました。
自分を律するルールを決めていないと、きっと無職の期間を無駄にしてしまったり、不安になりすぎてまた失敗してしまうと思ったからです。
不安からまた同じような失敗を繰り返すことは絶対に絶対にあってはならないので、私はルールをいつも意識して行動するようにしていました。
そしてそれは効果てきめんでした。
どんなルールかというと、とてもシンプルです。
焦らない・どんな結果になっても言い訳しない
無職でいる期間を決めて、期間後にどうするかを決めておく
時間を有効に使う
この3点です。
まず「焦らない・言い訳しない」について。
もう言葉のままなのですが、絶対に言い訳しない。どんな結果になっても言い訳しない。
成り行きもあったけれど、自分が選んで無職になったのだから、転職活動期間にできることをしっかりやって、自分でその責任をとるということです。
これまでの失敗から、焦りが生み出すリスクをひしひしと感じていました。
焦ると手段と目的を間違えたり、判断を誤る。だから絶対に焦らない。
30歳を過ぎての完全無職。
はたから見たら焦らないほうがどうかしているかもしれません。
でも、だからこそ、不安な気持ちを持つことはあっても、絶対に焦らない。と心に決めていました。
そして焦らないためには、無職でいる期間の上限を決めること、
そしてその期間が過ぎたら具体的にはどうするのかを先に決めておきました。
私の場合、無職でいる期間は最大4か月と決めました。
そして4か月経っても希望の仕事が見つからなければ、派遣社員としてとりあえず働くと決めていました。
4ヶ月にしたのは、一つは貯金などの兼ね合いの経済的な理由、
あとは離職期間が長くなりすぎて企業への印象が悪くなるのを防ぐためです。
期間を設定したのはわたしにとって本当に正解でした。
長くても完全無職で転職活動をするのは4か月間だけだと思うことで、
4か月を無駄にしないようにしっかり活動しようとも思えるし、その先が決まっているのは自分に対しての安心材料のひとつになりました。
無職の間は面接以外ではほとんど人に会わなくいので孤独との戦いでもあるのですが、
この期間を最大でも4ヶ月と決めていたことで孤独に押しつぶされることなく自分を保つことができたと思います。
さらに期間を決めたおかげで、時間を有効に使うということにもつながります。
4か月は長いようで短いです。
この間、基本的には平日は転職に関すること(企業研究や面接対策など)をやって、
逆に土日は転職関連のことは基本的に一切せずにゆっくり休むように決めていました。
また、せっかく時間があるので、これまで時間がないのを理由にできていなかったこと、
例えばずっと読めていなかった本を読んだり、昔は趣味だったけれど忙しくて遠ざかっていたお菓子作りをしたり、
手芸をしたりと、気持ちとスケジュールに余裕があるときは余暇も楽しむようにしました。
このように自分にルールを課したおかげで、無職の期間を有効に使うことができてよかったなと思います。
肝心の転職活動のほうはというと、インターネットと本で情報収集と勉強を徹底しました。
自分の考えにフィットする有意義な情報がみつかり、
そこから学ぶことで想定問答や小手先の面接テクニックではなく応用が利く本質的な転職での戦略をを学ぶことができました。
そして、複数の転職エージェントに登録して、なるべく客観的な意見をとりいれるようにしました。
転職エージェントは無償で面接対策等をやってくれるので、そこはプロの力を大いに利用して面接の練習をさせてもらいました。
毎日カフェやファミレスに平日はこもって企業の情報収集をして気になる企業には応募し、
随時面接に出向くということを繰り返していました。
基本的には週に1-2回の何かしらの面接や面談が入っている状態でした。
アプローチしていたのは本当に興味のある企業だけに厳選していたのですが、
良いペースで活動できていたと自分では感じています。
しっかりと準備をしながら活動した結果、
ほとんどの応募企業で最終面接まで呼んでいただくことが出来ていました。
新卒就活のときにとんちんかんな受け答えをして面接を撃沈していた自分からは想像できない成長と言えます。
どこまでいっても「面接が得意」とは中々言えないですが、
それでも正しい戦略がわかるようになったことで以前ほど面接が怖いものではなくなったのです。
かなりの確率で最終面接に呼んでいただけていたので、
あとは運や縁だったりちょっとしたタイミングだなという感じでした。
最終面接までいってなかなか決まらないのはもどかしい気持ちはありましたが、
気負わずに得たチャンスを活かすように心がけて活動していました。
そして、完全無職で転職活動をはじめて4ヶ月が経つ頃になりました。
残念ながら、その時点で納得のいく内定を得ることはできませんでした。
実は、転職活動のかなり初期の段階で1社内定をいただいた会社がありました。
とても魅力的な企業と感じていたので、一時は本当に入社しようと思っていました。
ですが、面接で会社に伺った際に感じたことでどうしても気になることがあり、
本当に悩みに悩んだのですが、結局は内定辞退しました。
そのときはまだ前職を有給消化中のタイミングだったので、もしそのままその会社に入社をすれば離職期間が空かずに済んでいました。
もし以前の私であれば間違いなくそのまま入社していましたし、
事実そんなにとんでもない会社ではなかったと思います。
本当はこのまま入社を決めて、転職活動終わらせたい気持ちはある。
でも・・・!
次こそは納得のいく会社で長期就業を目指すという気持ちが強かったので、
私は不安材料とその企業で働く魅力を何度も何度も検討ました。
そして、頭がおかしくなるくらい悩んだ結果、
辞退することを決断しました。
内定辞退の電話をかけるときは、手と声が震えていたのを今でも覚えています。
その判断が正しいのかどうかなんて、いくら考えてもわからないですから。
もしかしたら、辞退したことをあとあと後悔することになるかもしれない。
でもやっぱり、この会社に入社は、しない。
迷いに迷ってよく考えた結果でした。
その後活動を続けて4ヶ月がたち、先述のようにそれ以降の内定は残念ながら得られませんでした。
ですが、その内定辞退は本当にしっかりと考えた末の判断だったので、
あとから振り返っても全く後悔しませんでした。
はじめての派遣就業
私は自分で決めたルールの通り、無職での転職活動期間が4ヶ月たったので、派遣社員として働くことにしました。
もちろん派遣社員として働きながら、もし良い求人があれば随時応募してチャンスを狙うというかたちです。
派遣社員としては、運良くスポーツアパレルブランドでのオンラインショップ部署のアシスタントの求人を紹介してもらうことができました。
元々転職ではファッション関連の企業を希望していたので、
派遣であっても関連した企業で働いた方が経歴に一貫性がでるので、この点はラッキーでした。
そうして、私は6社目に大手スポーツブランドで派遣社員として働くことになりました。
派遣社員としての就業なので、やはり正社員として働くようには仕事に従事できないこともあり、
仕事面での物足りなさを感じることはありました。
しかし、わたしにとっては派遣での就業はあくまで次に正規で働く場所をみつけるまでのステップでした。
なのである程度割り切って、あまり気にしすぎずに過ごすようにしていました。
派遣で働いたことによる意外な収穫は、
それまで経験したことのない世界的企業の内側を見ることができたことです。
その会社は誰もが知っている有名なスポーツブランドなので、
世界的大企業がどんなオフィスでどんなひとたちが働いていて、どのような風土があって、
ということが知れたのは自分の世界をひとつ広げてくれたように思います。
派遣で就業して10ヶ月すぎた頃に、以前からお世話になっていた転職エージェントから連絡があり、
2件続けてとても魅力的な求人案件を紹介してもらう機会がありました。
そしてその企業の面接を受けたのですが、やはり最終面接まではいくものの、
内定までいくことはできませんでした。
すごく残念ではありましたが、毎回最終面接までいくことはできるので、
箸にも棒にもかからないわけではない。
このまま活動していれば、きっと納得できる内定先に巡り会うことができる!と強い気持ちを持てるようになっていました。
そして、現在の会社へ
派遣社員として就業してちょうど1年経とうという頃でした。
私は今働いている会社の求人案件をもらい、面接を受けて内定しました。
不思議なもので、決まる時って、本当にあっけないくらい簡単に決まるものです。
それくらい簡単に決まったなという印象だったのを覚えています。
入社の決め手となったのは、面接時に実際に会った上司(となる予定の人)がどう考えてもいい人だと思えたこと。
私の語学力やこれまでの経験を評価してくれて、活かせそうなポジションであったこと。
またきちんとしたオフィスで、外資なのですが海外の本社はかなり大きい企業でしっかりした母体の会社であることも安心材料になりました。
こうして私は今現在の会社に入社することになります。
今の会社では、輸入担当としてこれまで携わってた貿易含む海外とのやりとりの経験も活きつつ、
大企業ならではのこれまでにない物量に関わることができていて、新たに学ぶこともあります。
わからないことがあれば上司に相談することもできるし、面接で感じた通りとても良い上司に恵まれたので、
理不尽なこととは無縁で仕事上でのストレスも全くと言って良いほどありません。
やりがいだけの点で言えば、ブラックな会社のときのほうが大きかったかも知れません。
ですが就業環境の良さやストレスのなさ、
さらに待遇を総合してやりがいとのバランスを考えると、
今の会社は本当に恵まれた環境で働けていると感じていて、納得してます。
外資ということもあり、まとまったお休みも取りやすいです。
私だけでなく他の社員の方もそうですが、みんな休みをとって時々海外旅行に出かけているようです。
私も今のところ2年連続でビーチリゾートに旅行に行ってのんびりしてきました。
次はどこに行こうかまた構想中です。
昔の会社では自分が休むとその分の仕事が回らない(単純に人がいないし、自分以外にはわからない仕組みになってしまっていた)ということもあって休めなかったので、仕事が落ち着いている時期に自由に休みを取れるのは本当に嬉しいです。
そうそう、私は朝早起きするのが苦手で、
以前はなんで毎朝必ず同じ時間にきっちり出勤しないといけないんだろう・・・って思っていたんですよ。
別にちょっとくらい出勤時間が前後したって仕事には影響ないのにって。
でも今の会社ではフレックスなので、出勤時間はある程度自由がききます。
多少寝坊しても平気だし、朝に時計とにらめっこしなくてもよくなったのは、
私にとってはとても心に余裕が持ててとても大きなことです。
仕事自体はほぼ残業することもなく、仕事後の平日の夜の時間も自分の好きなことに使えます。
例えば、今の会社に入ってから水泳にいくようになり、ジムにも通うようになりました。
定期的に運動をしているので、健康状態もいいみたいですし、何より運動すると体がスッキリして気分がいいです。
もちろん仕事後に飲みの予定やデートの予定もいれ放題です。
私はどちらかと言えばゆっくり過ごしたい方なのでぱつぱつに予定を入れることはあまりないですが、
自分次第ではたくさん予定をいれて充実させることも可能です。
どれも昔のブラックな会社で働いていた時には考えられなかったことだなと思います。
ブラックで働いていた当時は完全週休二日制ではなかったので元々休みが少なく、ストレスフルな職場で心も体も疲弊していました。
なので少ないお休みの日も疲れてしまっていて、あまり活動できていなかったです。
20代半ばで若かったのに勿体無いこをとしていたなぁと思います。
今の会社に入って一番大きいのは、心に余裕を持てるようになったことだなと思います。
仕事の充実度、
総合的な働きやすさ、
お給料含めた待遇、
このバランスが取れているからだと思います。
心理的な余裕や、時間的余裕ができたからこそ、
こうしてこれまでの色々な経験をインターネット上で発信してみようということにもつながりました。
また他にも色々と勉強したり新たな情報を自分に取り込むことを今はしていて、
そのことを通じて知り合いも増えて行って、とても毎日が楽しいです。
もしも5社目を辞めて無職になったときにしっかりと自分自身と向き合うことをしていなければ、
5社目以降もまた生産性のない失敗の転職を繰り返してしまっていたかも知れません。
転職回数が無駄な形でそれ以上増えて、さらに年齢も重ねて・・・それこそ想像しただけで恐ろしいです。
私の場合は落ちるところまで落ちた感があったところでようやくそれまでの自分がダメだったなと思い、
しっかりと自分自身と転職活動と向き合うことができました。
相当な回り道をしてきたなと思います。
でも、皆さんは回り道をする必要はありません。
私がブログを通して、転職を成功させるための普遍的な思考・戦略に関して皆さんにしっかりお伝えをしていきます。
転職は運と縁とタイミングにも大きく影響されます。
ですが、運や縁を最大限自分に有利に働かせるためにも戦略を持って転職活動することが大事です。
昔うまくいかなかった時の私のようにいきあたりばったりで活動してしまうと、
うまくいかないだけでなく時間もたくさん無駄にしてしまいます。
それは本当に勿体無いことです。
私が転職について向き合えるようになった時に色々なソースから学んだことは、何も難しいことではありません。
ただ、転職が初めてで勝手がわからない人や、転職活動を頑張っていてもうまく行っていない人には見えていない点だったり、
ちょっと気づきにくいことだったりするかも知れません。
転職をしたいけれどどうしたらいいかわからない人や、転職活動がうまく行っていない人に対して、
私が正しい戦略をお伝えすることでポジティブな転職が日本で増えていくといいなと思っています。
ブラックな会社や、今の会社や仕事が合わないと感じている状態で働いていると、
せっかく能力がある人も埋もれてしまいます。
それってものすごく残念なことだし、本来能力がある方が活躍できないのは、ひいては日本の社会全体にとっての損失です。
日本の社会はまだまだ閉鎖的なところがあると私は感じていて、転職に対してよく思わない古い風潮が残っていたりもします。
そういった風潮を私は変えていきたいし、
そのためにはポジティブな転職をする人が増えることが一番の近道だと思っています。
今の会社に不満があって毎日文句たらたらで本当は辞めたいのに、
転職する勇気がでなくて惰性で続けるという人は多いです。
過去の職場でそういった人たちを何人も見てきました。
前向きな気持ちで仕事を続けているなら素晴らしいですが、
辞める勇気がないだけで本当は辞めたいのに辞めていないだけの人が評価されるのは私はおかしいと思っています。
惰性で続けるのではなく勇気を持って変化することを選択し、
より良い環境を手に入れたいと努力する人を私は応援したいと思っています。
今後このブログ内で、特に転職について、
より濃い内容の情報を提供していきたいと思っています。
現在準備中ですので、楽しみにお待ちください!
もしご質問やご要望などあれば、ぜひお気軽にお問合せページからご意見を頂ければ嬉しいです。
私と一緒に、自分の人生の質を高める転職を目指しましょう。
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